サラリーマン日記

思いついたままに日記を書きます

我が家の夏の定番 そうめん

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今週のお題「そうめん」について

 

夏と言えば、そうめん。夏休みのお昼ご飯はそうめんか塩サバか。そんな感じだったな~。両方出てくることもあったけど。

 

ただ、不思議なことにどちらも飽きることが無い。そうめんもたぶん、毎日食べてもそんなに飽きないと思う。ごはんと同じ感じかなと思う。大きな器にたくさんのそうめん。氷をのっけて冷やして、めんつゆをつけてすする。想像しただけで旨そう。

 

ただ、それは実家での話で、一人暮らしをするとそうめんを食べる機会は激減。わざわざ買わなくなった。そば、うどんは食べるのだが。今年の夏はそうめん買って食べようかな。

 

ちなみに、地元の鹿児島では流しそうめんではなく、そうめん流しと言います。円形の水槽?のようなものにそうめんを流してみんながそれを取って食べるところもあります。あんまり他の県では無いような気がしています。

 

 

 

トップアスリートのメンタル

大坂なおみ選手がうつ病を告白したニュースに関連して、トップアスリートだからって普通の人間と精神の強さや弱さは変わらないと思った。

 

トップアスリートは練習を続ける能力や高い運動能力、それを可能にする肉体を持ち合わせた人たちであろう。肉体的に均整がとれていて、外見は強そうに見えていているからといって、内面も同じように強いんだろうなと想像したい気持ちも分かるが、そこに関係性は無いんだろうな当然のように思う。普通の人のように、メンタルが強い人もいれば弱い人もいるよね。

むしろ繊細だからこそ自分のメンタルに真摯に向き合いそれを克服してきた、それをスポーツ向上に活かしてきた、そういう人もいると思う。

 

トップアスリートだからと言って、超人的な能力を求めてしまうのは良くないなと感じた。スポーツの成績、人格、困難に耐える精神など、そんな完ぺきではないよな。

 

トップアスリートはスポーツの成績やそれに向けて練習するプロセスだけで十分だと思う。別に、人格とか社会的に貢献するとかはどうでもいいとも思う。それは、その人の価値観であり、社会がそれを求めるのはその人にとってきついものになると思う。

 

何かに秀でる人にすべてを要求する。たとえば、国民栄誉賞紫綬褒章ノーベル賞受賞者、世界大会での優勝者、オリンピックの金メダリストなど。それは十分に素晴らしいことではある。ただ、それだけでもあるとも言える。

 

それらの人たちの功績を称え、称賛し、それで以上。それ以外は本人の自由でOKというスタンスでいきたいなと思う今日この頃です。

 

リアルとバーチャルの世界

自分が生きている世界はその世界で過ごす時間が決めるものだと思っている。

 

たとえば、一日中テレビを見ていればそれがその人の世界、ゲームであればゲーム、ネットであればネット、漫画であれば漫画のように。

 

一般的にはリアルと言えば、媒介を経由せずに見ることのできる、いわば自分の目で直接見た世界だと思う。バーチャルと言えばテレビやゲームなど、いわゆる電子機器を媒介して何かを見る、する世界だと思う。

 

ただ、バーチャルに過ごす時間が長くなれば長くなるほど、それはその人にとってのリアルな世界であると思う。世界とはそういうものだ、そういう風に脳が認識していくものではないかと思う。当たり前といえば当たり前かな。

 

ネット依存症やゲーム依存症などという言葉がある。僕は別に本人が満足し、法律に違反していなければ全く問題はないと思うが、それがあたかも病気であるような言い方をしてしまう。

 恐らく、リアルな社会生活を送れない、送っていない可能性がある人を病気というカテゴリーに定義してリアルな世界で生きれるように矯正するためのものなのかなぁ。

少し強制力があって怖い気もするが。

 

それに、ますますネット環境が普及して、リアルな世界よりバーチャルな世界が支配してくるとそれはすなわち皆がネット依存症になるということとなり、病気でもなんでもなく別に普通のことになるのではないかと思う。

これだけスマホやネットが普及していればもうほぼみんながネット、スマホ依存症ではないかと思うし、みんなが趣味、ペット、仕事、子供など何かしらに依存はしていると思うから別にわざわざ名前を付けなくてもええのではないかとも思う。

 

 

コロナ禍になり、リモートワークなどして直接人と会わずに日常生活を送ることが可能になるともうそれこそがリアルな世界だろう。

 

もっと年月が経つと、今のバーチャルな世界がリアルになり、リアルな世界が異世界のように感じることもあるのではないかと思う今日この頃である。

ミスチル

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今週のお題「わたしのプレイリスト」

わたしのプレイリストはミスチルだ。大学生の頃にはまり、10年ほどのファンだ。

 

ランニングのときに装着するイヤホン?にはランニング中に背中を押してくれる曲、テンションの上がる曲を入れている。

 

たとえば、終わりなき旅、innocent world、Worlds end、フェイク、Dance Dance Dance、ニシヘヒガシヘ、光の射す方へ、箒星、fanfare、天頂バス、幻聴、蘇生、addiction、未来、PADDLEなど。

 

特にテンションがあがるのは、終わりなき旅、PADDLE、fanfareのイントロかなあ。

とはいえランニングにぴったりなのは間違いなくランニングハイ。

 

「もう疲れた誰か助けてよ!」そんな合図出したって

誰も観ていない ましてタイムを告げる笛はならねぇ

なら 息絶えるまで駆けてみよう 恥をまき散らして

胸に纏う玉虫色の衣装をはためかせていこう

                 -ランニングハイの歌詞抜粋-

 

こんなこと言われたら、ランニング中に歩きたくても歩けない💦

本の要約について

YouTubeで本を要約した動画がある。割とわかりやすく要点をまとめてくれているので、いいものだと思っていた。

 

今日ネットサーフィンしていたら、こんな書き込みがあった。

ある人が友人に「本を読みたいのだが、どこで購入できるかな?」と聞くと、「YouTubeの要約見ればいいんじゃない、タダだし」とのこと。

 

なるほど。確かに要約を見ればタダでその本を読んだ気にはなる。そして、大体はその本が言わんとしていることは理解できるだろう。

ただ、それだからといって本を読まなくても良いということにはならないのではないかと思う。

 

その本を読みながら、自分自身で考える時間、それが奪われているからだと思うからである。文章を読んで、作者の意図をくんだり、読みながら情景を思い描いて楽しんだり、自分の意見と照らし合わせたり、分からない用語を調べたり、そういったある意味で面倒くさいプロセスが抜けていると思う。

それこそが本を読む価値であるとも思う。

 

要約だけでいいのであれば、作者が要約したものを本として出版すればいいのではとも思う。あるいは要約したものがその1冊にまとめられているのであれば、すべて読まなければならないのではとも思う。

 

相当飛躍するが、人生と同じように、生きて死ぬんだから、たくさんの人の人生を見聞きして、読んだりして、人生ってこんなもんだと悟って死んでもいいんじゃない。

 

ということではなく、やはり自分自身が実際に生きて、最後の最後で人生とはと自分なりに総括するその生きるプロセスそのものに人生の価値があると思う。

 

そんな変なことを考えた。

 

 

 

YouTubeのコメント

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YouTubeは良く見るのだが、一度もコメントしたことが無かった。

 

ブログを始めてから発信すること、それを誰かが見てることに対して面白いなあ、反応があるのはええなと思うようになった。

 

そこで、中田あっちゃんのYouTube大学の最新動画にコメントしてみた。すると、数分後には1、数時間後には十数件のいいね!が。こんなにもレスポンス速いんやと感動した。

 

本当は中田あっちゃんからのいいねボタンが欲しいのだが、それはまだついていない。

残念だが、また動画を見てコメントが目にとまってくれていいね!してもらえるとシンガポールから見てるんやと少し感動するかなと思いながら。

 

次回動画期待しています。

お金と健康

お金と健康って似てるなと思った。

 

健康であることは生きるためのベースでありとても大切なことであると思う。しかし、健康はものすごく健康であるからといって、その分だけ何か特別に得られるものはないと思ってる。普通に健康であれば、ものすごく健康とほとんど変わらないなと。だから、わざわざ筋骨隆々になるほど努力は必要ないし、健康グッズ的なのも不要かなと。

 

また、お金も生きるためのベースであり大切なものである。なければ生きられずに困るが、あればあるほど確かに自由度は増し、不安も少なくなるが、たくさんあっても不自由する人もいることを考えると、まあほどほどでもそんなに変わらないかなと。

 

いずれも生きるために大切な事であるから維持、管理に気を付けていきたい。